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京都地方裁判所 昭和57年(ワ)1098号 判決 1984年11月29日

原告

梅田和宏

訴訟代理人

村井豊明

稲村五男

宮本平一

被告

京都府

代表者知事

林田悠紀夫

訴訟代理人

香山仙太郎

外三名

主文

被告は、原告に対し、金一二万円とこれに対する昭和五七年七月二三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。訴訟費用は二〇分し、その一を被告の、その余を原告の、各負担とする。

この判決の第一項は、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  原告

被告は、原告に対し、金二二〇万円と、これに対する昭和五七年七月二三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は、被告の負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言。

二  被告

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

との判決。

第二  当事者の主張

一  当事者間に争いがない事実

1  原告は、訴外京滋交通株式会社(以下京滋交通という)に勤務するタクシー運転手であり、訴外巡査赤星広吉及び同巡査部長新谷泰宏は、京都府伏見警察署に勤務する京都府警察所属の警察官である。

2  原告は、昭和五七年六月一八日午後八時四〇分ころ、京滋交通のタクシー(普通乗用自動車 京五五う八九七二、以下本件タクシーという)に乗車勤務して、京都市伏見区京町五丁目の市道河原町十条観月橋線通称京町通りを南進していたところ、同所に設置されていた京阪電車京町踏切(以下本件踏切という)の警報機が鳴り、遮断機が降り始めていたので、本件踏切直前の別紙図面記載①(①という、以下同じ用法による)の地点で停止し、三条京阪行普通電車の通過待ちをした。

3  右電車の通過後、一旦遮断機が上がり、警報機が鳴り止んだが、その約四秒後に、淀屋橋行急行電車が本件踏切に接近し、警報機が再び鳴り始めた。

原告が運転する本件タクシーが、本件踏切を渡り終えたのは、警報機が再び鳴り始めた後であつた。

4  原告は、本件踏切を横断した後、京町通りをさらに南進していたところ、毛利橋交差点(以下本件交差点という)北側の②の辺りで、赤星広吉に停車を命じられ、警報機が鳴つているのに本件踏切を進入した旨の違反事実を告げられた。

原告が、これに対し、警報機が鳴り始めたのは、原告運転の本件タクシーが本件踏切に進入した後であると述べて否認すると、赤星広吉は、原告に対し、本件タクシーを本件交差点南側の京町通り路上の③付近に移動させるよう命じ、原告は、その指示に従つた。

5  そして、同所で、赤星広吉が原告の警報中の踏切立入を主張し、運転免許証の提示を求めたのに対し、原告は、その事実を否認し、押問答を繰り返すうち、赤星広吉は、原告に対し、逮捕する旨を告げて、同僚の新谷泰宏とともに、原告を本件タクシーから引き出し、左手に片手錠をかけて、原告を道路交通法(以下道交法という)三三条二項違反の疑いで現行犯逮捕した。

6  原告は、その後、駆けつけたパトカーに乗せられて、伏見警察署へ引致され、取調べを受けた後、翌一九日午前二時前ころ釈放された。<以下、事実省略>

理由

一当事者間に争いがない事実

事実欄の第二の一記載の各事実は、当事者間に争いがない。

二本件現行犯逮捕の正当性について判断する。

1  <証拠>を総合すると、次のことが認められ、<証拠判断省略>。

(一)  赤星広吉は、昭和五七年六月一八日午後八時二〇分ころから、京都府伏見警察署勤務の新谷泰宏巡査部長、訴外前田隆巡査部長、同西宮政弘巡査長、同内田某巡査及び同吉田某巡査とともに、三組に分かれて、本件交差点付近において、車輛検問及び交通違反の取締りに当たつていた。

その分担は、前田隆及び西宮政弘が一組となり、本件交差点の東側で西行車輛の取締りをし、内田某及び吉田某の組は、本件交差点の西方約一〇メートルにある京阪電鉄毛利橋踏切のさらに西方約一〇メートルの地点で、毛利橋踏切の一時停止違反及び警報中踏切立入禁止違反の取締りを行つた。そして、赤星広吉及び新谷泰宏の組は、本件交差点において、本件踏切の一時停止違反及び警報中踏切立入禁止違反の取締り及び検問を担当した。

そこで、赤星広吉は、赤色停止灯を持つて④の地点に立ち、新谷泰宏は、懐中電灯を持つて⑤の辺りに立つて任務を遂行した。

(二)  原告は、同日午後八時四〇分ころ、胸に会社名の縫取りのある青いワイシャツに臙脂のネクタイという京滋交通の制服を着用し、本件タクシーを運転して、京町通りを南進中、本件踏切に差しかかつたが、折から三条京阪行普通電車が接近し、警報機が鳴り、遮断機が降り始めていたので、①の地点で本件タクシーを停止させて、電車の通過を待つた。

原告は、右電車通過後、遮断機が上がるのをまつて、前照灯を点灯し、本件タクシーを発進させて、本件踏切を横断したが、そのころ、淀屋橋行急行電車が本件踏切に接近し、一旦鳴り止んだ警報機が、再び鳴り始めた。原告が本件踏切を出たのは、警報機が再び鳴り始めた後であつた。

(三)  赤星広吉は、④の地点で本件タクシーを注視していたが、本件タクシーが、警報機が鳴り始めてから本件踏切に立入つたものと判断し、京町通りを南進してきた本件タクシーに対し、②の付近で赤色停止灯を示して停止を命じた。原告は、これに従つて、②の付近に本件タクシーを停止させた。

(四)  赤星広吉は、原告に対し、反則告知を行うため、本件タクシーの運転席横に近付き、窓越しに、原告が警報機吹鳴中に本件踏切に進入した旨の反則行為の事実を告げたところ、原告は、警報機が鳴り出したのは本件踏切に進入した後である旨を述べて、違反の事実を否認した。

赤星広吉は、この時、本件タクシーのドアに、「京滋」と会社名が書かれていることを認め、本件タクシーの車両ナンバーを確認した。

(五)  赤星広吉は、原告に命じて本件タクシーを、③の辺りまで移動させた後、前と同じ内容の反則事実を告げ、運転免許証の提示を求めた。これに対し、原告は、前と同様違反行為を否認し、違反もしていないのに、なぜ運転免許証を見せなければならないのか、とくつてかかつて、運転免許証の提示に応じなかつた。

赤星広吉と原告との間で、このような押問答が二、三回続いた後、赤星広吉は、原告に対し、運転免許証を見せないのなら逮捕すると告げた。

(六)  新谷泰宏は、赤星広吉が本件タクシーを③に停止させていたころ、⑤の付近で、運転免許証不携帯の少年の取調べを終えたところであつたが、間もなく、⑤の地点に戻り、③に移動した赤星広吉らの様子を気にしながら取締りを続けていた。しかし、新谷泰宏は、赤星広吉と原告のやりとりが続いていたので、③のところに行き、赤星広吉に状況の報告を求めたところ、赤星広吉は、原告運転の本件タクシーが、一旦遮断機が上がり、その後再び警報機が鳴り出したにもかかわらず、本件踏切に進入した、運転免許証の提示を求めても応じない旨を報告した。

そこで、新谷泰宏は、原告に対し、赤星広吉が違反行為を現認していたことを告げ、運転免許証の提示を求めたが、原告は、違反行為を否認し、これに応じようとしなかつた。

(七)  そこで、赤星広吉は、新谷泰宏に対し、原告を現行犯逮捕することについての指示を求め、その許可をえたうえ、同日午後八時五〇分ころ、原告に対し、道交法違反の現行犯で逮捕する旨を告げて、本件タクシーの運転席のドアを開けた。しかし、原告は任意に外に出ようとしなかつたので、赤星広吉は、右手で原告の胸倉を、左手でその右腕を、それぞれ掴み、さらに、新谷泰宏が、両手で原告の左腕を掴んで、原告を本件タクシーから引き出した。

赤星広吉及び新谷泰宏が、右のようにして原告を車外に引き出したとき、原告のワイシャツの上から二番目及び三番目のボタンが、布地ごと引きちぎられてとれた。

そこへ、西宮政弘が応援に駆けつけ、新谷泰宏に代わつて原告の左腕を掴み、赤星広吉が原告の左手に片手錠をかけた後、赤星広吉及び西宮政弘は、原告を⑥付近の民家の軒下へ連れて行つた。

(八)  新谷泰宏は、原告に対し、本件タクシーを差し押さえる旨を告げて、本件タクシーの車内に入つて捜索し、ダッシュボードの中に入つていた車検証及びエンジンキーを差し押さえた。

(九)  原告は、同日午後八時ころ、本件タクシーの助手席の前に原告の乗務員証(甲第一三号証)を掲示して出庫し、当日の乗務に就いたが、原告が現行犯逮捕された時も、乗務員証は、車内のダッシュボードの上の見易い位置に掲示されていた。この乗務員証には、原告の上半身の鮮明な写真が貼付されると共に、原告の住所、氏名、生年月日、運転免許証番号や雇入年月日等が正しく記載されていた。

赤星広吉及び新谷泰宏は、原告を現行犯逮捕するに当たり、本件タクシー内の右乗務員証を確認しなかつた。

(一〇)  新谷泰宏は、その後、無線でパトカーの応援を求め、数分後に到着したパトカーに、赤星広吉が原告を乗車させて、伏見署に連行した。

(一一)  原告は、伏見署において、訴外藤江照男警部補の取調べを受けた後、原告の電話で駆け付けた全自交京都府連京滋交通労働組合副委員長訴外西川文三が原告の身柄引受人となつたので、同月一九日午前二時前ころ、釈放された。

2  <省略>

3  以上の事実を基に、本件現行犯逮捕の正当性について検討する。

さて、一般に、逮捕の正当性は、犯罪行為の明白性と逮捕の必要性に分けて論じられるところ、本件逮捕の場合、被疑事実の明白性の判断をしばらくおき、逮捕の必要性について検討する。

逮捕は、基本的人権として尊重されるべき人の身体の自由に対する重大かつ直接的な侵害であるから、警察官は、その必要性がないのに、みだりに行なうべきでないことは、いうまでもない。そして、このことは、現行犯逮捕の場合であつても変らない。とりわけ、本件のような交通法令の違反事件は、日常生活に直結するため、一般市民が経験し易く、かつ、形式犯でありその罪質も軽微であることが少くないのであるから、逃亡その他の特別の事情がある場合のほか、現行犯逮捕を行なわないようにするべきであることは、犯罪捜査規範二一六条が明確にその趣旨を示しているところである。

したがつて、交通法令違反について、取調べに対して反抗的であるとか、違反の事実を否認しているだけで、警察官は、安易に現行犯逮捕することが許されないのであつて、被疑者に罪証隠滅のおそれあるいは逃亡のおそれがあり、そのおそれが具体的かつ厳格に認定できる場合にはじめて、警察官は交通法令違反事件について、被疑者を現行犯逮捕することができると解するのが相当である。

以上の視点に立つて本件をみると、原告は、警報中踏切立入の事実を否認し、免許証の提示にも応じていないのであるが、右踏切立入の証拠は、警察官自身が目撃したというのであるから、これに対する罪証隠滅の余地は考えられない(なお、赤星広吉は、原告の否認にもかかわらず、後続車の運転手の目撃状況の供述を得ようとしていない)。

また、原告は、赤星広吉の指示に従つて本件タクシーを停車させ、さらに、取調べのため場所を移動しており、逃走を計つたとか、取調べを拒否してその場を立去ろうとしたとかの形跡が証拠上全く認められないのである。

そうすると、本件では、免許証の不提示により原告の人定にに困難が生じ、かつ、その場で反則行為の告知(道路交通法一二六条一項)をすることが不可能であつたことが、逮捕の必要性を根拠付けるか否かにつきることになる。

ところで、交通法令違反事件は、同種事犯を大量かつ適正迅速に処理する必要があり、また、取締状況や現場での取調べの実情等に特殊性があること、及び道交法が運転免許証の携帯を義務付けていることを考えると、運転免許証をもつて人定の原則的な手段とする運用が肯認される。しかし、運転者に対して運転免許証の提示が法律上義務付けられ、かつ、提示の拒否自体が処罰されるのは、特別の場合(道交法九五条二項、一二〇条一項九号)だけであつて、本件は、この特別の場合にあたらないから、免許証の提示は、あくまでも人定のための一手段にすぎない。

したがつて、免許証を提示しないことが、逃亡のおそれないし罪証隠滅のおそれにつながる一要素として判断される場合であればともかく、本件のように、単に免許証の提示を行なわないということだけで被疑者を逮捕することは許されないとしなければならない。そして、このことは、被告も本件で自認しているところである。

なお、運転免許証の提示がなければ、被疑者の行政処分歴等の確認ができず、その場で反則行為の告知を行うことが不可能となるが、そもそも、反則行為の告知は、その者の居所又は氏名が明らかでない場合や逃亡のおそれがあるときには、これを要しないとされている(道交法一二六条一項)のであるから、反則行為の告知の必要を逮捕の必要性に含めて考えることは本末転倒である。

ところが、前記認定事実によると、赤星広吉及び新谷泰宏は、原告に対してただ運転免許証の提示を求めたのみで、これの提示が得られないと、そのことだけでいきなり原告を逮捕したものであつて、赤星広吉らは、たとえば、原告に対し、口頭でその住所、氏名等の陳述を求めることをしたり、本件タクシー内に提示されていた乗務員証(これには原告の上半身の写真が貼付され、住所、氏名、生年月日、運転免許証番号まで記載されていた)を確認したり、原告は京滋交通の制服を着ていたのであるから、京滋交通に照会することなどをすることは、たやすいことであつた。しかも、赤星広吉らが、右のようにして、免許証以外の方法で原告の人定に努めることを阻げるような特段の事情(例えば取締方法等の特殊性や交通事情等)は証拠上認められないのである。

このようにみてくると、赤星広吉らは、原告が、単に道交法違反の事実を認めず、免許証を提示しないということだけで、直ちに、原告には逃亡のおそれや罪証隠滅のおそれがあると速断して本件現行犯逮捕をしたもので、本件現行犯逮捕は逮捕の必要性の要件を欠いた違法な逮捕であるといわざるを得ない。

4  まとめ

本件現行犯逮捕は、逮捕の必要性を欠き、違法である。

三責任原因について

赤星広吉、新谷泰宏及び西宮政弘は、京都府伏見警察署の警察官として、交通法令違反の取締りに際し、原告を違法に現行犯逮捕したのであるから、これは、被告の公権力を行使する公務員が、その職務執行について、故意又は過失によつて違法行為をしたことに該当する。

そこで、被告は国家賠償法一条一項により、原告の被つた損害を賠償しなければならない筋合である。

四損害について

原告が、本件現行犯逮捕によつて、精神的、肉体的苦痛を被つたことは、推認に難くない。もつとも、原告主張の、逮捕の際右腕を後手に捻じ上げられたこと及び伏見署に連行された後、弁護士に連絡したい旨の原告の申出が赤星広吉によつて拒否されたことについては、これらのことが認められる的確な証拠がない(この点についての甲第一七号証の記載、原告本人尋問の結果は、採用できない)。

そして、赤星広吉らが、原告に対し、運転免許証の提示を求めたことは、行為者を特定するためにも、また、反則告知を行うためにも必要であり、それ自体正当な要求であることを考えると、これをことさらに拒否した原告の非協力的態度が、本件現行犯逮捕を誘発したともいえるのであり、さらに原告に対する身柄拘束が比較的短時間であつたことなど、本件に顕われた諸般の事情を総合して勘案すると、被告は、原告の被つた精神的損害に対し、金一〇万円を支払つて慰藉するのが相当である。

また、弁論の全趣旨によると、原告が本件訴訟を提起するため、本件を弁護士に依頼し、金二〇万円の報酬を支払う旨の約束をしたことが認められるから、右弁護士費用のうち金二万円を、本件現行犯逮捕に基づく損害とするのが相当である。

五むすび

被告は、原告に対し、金一二万円とこれに対する本件訴状が被告に送達された日の翌日であることが本件記録上明らかである昭和五七年七月二三日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払わなければならないから、原告の本件請求をこの範囲で正当として認容し、これを超える部分を失当として棄却し、民訴法八九条、九二条、一九六条に従い、主文のとおり判決する。

(古崎慶長 小田耕治 長久保尚善)

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